
2011年07月18日
山幸彦・豊玉姫
宮崎は台風が近づいてます。
時折、激しい横殴りの雨と風、もちろん「青島ビーチ」は遊泳禁止。
その「青島」と言えば「海幸彦。山幸彦」神話の舞台ですね。

「こどもの国駅」にある「山幸彦」と「豊玉姫」の埴輪作りの像
この話は「古事記」と「日本書紀」に出てきます。
二人は兄弟で、「海幸彦」と呼ばれた兄のホテリノミコトは海で漁を、「山幸彦」と呼ばれた弟のホオリノミコトは山で狩りをして暮らしていた。
ある日、釣竿と弓矢を取り替えて兄は山へ、弟は海に。
しかし、弟は釣り針を海でなくしてしまい、自分の剣で五百本、千本と釣り針を作って兄に渡そうとしたが、「なくした針でなければ」と許してくれず、その針を求めて、竹の小舟で海に出て「海神の国」へ。

この国で歓待され、海神ワタツミノカミの娘「豊玉姫」と結婚して暮らすが、「なくした釣り針を探して家に帰りたい」と聞いたワタツミノカミは、海の中の全部の魚を集めて針を見つけ出し、山幸彦に渡して帰らせた。
それからしばらくして、豊玉姫が訪ねて来て身ごもっていることを伝え、産気づいた姫は「私は今から出産しますがそれを見ないで」と未完成の産屋入って行った。
山幸彦はこの言葉が気になり中を覗くと、大きなワニ(サメ)がのたうち回っているのを見て、恐ろしくなり逃げ去ってしまった。
豊玉姫はこれを知って恥ずかしくなり、産んだ子を置いたまま海の国へ帰ってしまった。
こんな話でしたね。
「浦島太郎伝説」のモデルだそうです。
ちなみに、この兄弟の父は「高千穂の峰」に降り立った、あの「天孫降臨」のニニギノミコト、母はコノハナサクヤヒメで、この時生まれた子供は豊玉姫の妹と結婚して四人の子をもうけ、その中の一人が初代天皇の「神武天皇」と伝えられている。
時折、激しい横殴りの雨と風、もちろん「青島ビーチ」は遊泳禁止。
その「青島」と言えば「海幸彦。山幸彦」神話の舞台ですね。

「こどもの国駅」にある「山幸彦」と「豊玉姫」の埴輪作りの像
この話は「古事記」と「日本書紀」に出てきます。
二人は兄弟で、「海幸彦」と呼ばれた兄のホテリノミコトは海で漁を、「山幸彦」と呼ばれた弟のホオリノミコトは山で狩りをして暮らしていた。
ある日、釣竿と弓矢を取り替えて兄は山へ、弟は海に。
しかし、弟は釣り針を海でなくしてしまい、自分の剣で五百本、千本と釣り針を作って兄に渡そうとしたが、「なくした針でなければ」と許してくれず、その針を求めて、竹の小舟で海に出て「海神の国」へ。

この国で歓待され、海神ワタツミノカミの娘「豊玉姫」と結婚して暮らすが、「なくした釣り針を探して家に帰りたい」と聞いたワタツミノカミは、海の中の全部の魚を集めて針を見つけ出し、山幸彦に渡して帰らせた。
それからしばらくして、豊玉姫が訪ねて来て身ごもっていることを伝え、産気づいた姫は「私は今から出産しますがそれを見ないで」と未完成の産屋入って行った。
山幸彦はこの言葉が気になり中を覗くと、大きなワニ(サメ)がのたうち回っているのを見て、恐ろしくなり逃げ去ってしまった。
豊玉姫はこれを知って恥ずかしくなり、産んだ子を置いたまま海の国へ帰ってしまった。
こんな話でしたね。
「浦島太郎伝説」のモデルだそうです。
ちなみに、この兄弟の父は「高千穂の峰」に降り立った、あの「天孫降臨」のニニギノミコト、母はコノハナサクヤヒメで、この時生まれた子供は豊玉姫の妹と結婚して四人の子をもうけ、その中の一人が初代天皇の「神武天皇」と伝えられている。
Posted by まっちゃんパパ at 12:16│Comments(0)