
2011年08月14日
納骨できない
友人が2回目の東日本大震災の災害支援活動から帰ってきた。
最初の支援活動は5月の初めに、私たち8人のグループで宮城県を中心に行った。
その友人から宮城の地方紙切り抜きを2枚頂いた。
1枚の記事見出しは「墓地壊滅『納骨できない』」だった。
それは私たちが5月に、お寺のがれきやヘドロの撤去作業を行った宮城県石巻市の「西光寺」の記事だった。


記事は「本堂や2階座敷には約90の遺骨が保管されている。『避難所や仮設住宅に住むご遺族が預けていきました』と副住職の樋口伸生さんが話す。津波は家々をなぎ倒しながら、海岸線から約1㌔の境内に押し寄せた。約1000
基あった墓石は一部を残して壊滅状態に、ボランティアらの力で、がれきの山はようやく撤去され、散らばった遺骨も拾い集められた。しかし、墓石の修復はほとんど手付かずの状態となっている」と書かれている。
「本堂の再建やがれきの撤去、倒壊した灯籠や石碑の修復などに対し、憲法の政教分離規定で、国や自治体が助成金や補助金を支出することはできない」んだそうですね。
もう一つの記事は、5月の時に「地鶏の炭火焼」や「日向夏」、「宮崎産きゅうり、トマト、キャベツのサラダ」を昼食に提供したり、サッカーやフライングディスクを一緒に楽しんだ「宮城県南三陸町の方々が集団避難している登米市津山町の『津山若者総合体育館』の記事だった。



記事は「現在67人が避難している。避難者全員が仮設住宅などに移るため20日に閉鎖する」と書いてある。
3人のコメントが載っている「いよいよ仮設へ」「仙台で仕事探す」「新生活に不安も」。
記事を読みながら「う~~ん」
最初の支援活動は5月の初めに、私たち8人のグループで宮城県を中心に行った。
その友人から宮城の地方紙切り抜きを2枚頂いた。
1枚の記事見出しは「墓地壊滅『納骨できない』」だった。
それは私たちが5月に、お寺のがれきやヘドロの撤去作業を行った宮城県石巻市の「西光寺」の記事だった。
記事は「本堂や2階座敷には約90の遺骨が保管されている。『避難所や仮設住宅に住むご遺族が預けていきました』と副住職の樋口伸生さんが話す。津波は家々をなぎ倒しながら、海岸線から約1㌔の境内に押し寄せた。約1000
基あった墓石は一部を残して壊滅状態に、ボランティアらの力で、がれきの山はようやく撤去され、散らばった遺骨も拾い集められた。しかし、墓石の修復はほとんど手付かずの状態となっている」と書かれている。
「本堂の再建やがれきの撤去、倒壊した灯籠や石碑の修復などに対し、憲法の政教分離規定で、国や自治体が助成金や補助金を支出することはできない」んだそうですね。
もう一つの記事は、5月の時に「地鶏の炭火焼」や「日向夏」、「宮崎産きゅうり、トマト、キャベツのサラダ」を昼食に提供したり、サッカーやフライングディスクを一緒に楽しんだ「宮城県南三陸町の方々が集団避難している登米市津山町の『津山若者総合体育館』の記事だった。
記事は「現在67人が避難している。避難者全員が仮設住宅などに移るため20日に閉鎖する」と書いてある。
3人のコメントが載っている「いよいよ仮設へ」「仙台で仕事探す」「新生活に不安も」。
記事を読みながら「う~~ん」
Posted by まっちゃんパパ at
23:33
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